7月の京都はこれなしには語れない。祇園祭の話【動画つき】
こんにちは、京扇子の白竹堂です。享保3年、1718年から京都で扇子屋を営んでおります。
7月に入ると、京都では祇園祭が始まります。
「祇園祭」と聞くと、7月17日の前祭(さきのまつり)の山鉾巡行をイメージされる方が多いかもしれません。
確かに、一番観光客が多くやってくるのは15日の宵々山、16日の宵山、17日の山鉾巡行でしょう。しかし本当の祇園祭は、7月1日から31日までの1ヶ月間をかけてじっくり行われるものなのです。
今回は、そんな祇園祭の話を少ししようと思います。
祇園祭の中心は「神輿渡御」
祇園祭の内容は大きく2つにわかれます。八坂神社が行うものと、それぞれの山鉾を管理する山鉾町が行うものです。八坂神社は神輿渡御を、山鉾町は山鉾巡行を中心とした行事や神事をそれぞれ行うと考えておくと良いのではないかと思います。
と、こういう話をすると「祇園祭に御神輿が出るんですか?」と聞かれることがしばしばあります。
はい、その通りです。祇園祭では御神輿が出ます。むしろ「神輿渡御が中心のお祭りなんです」と言うべきでしょう。
実は、山鉾巡行というのは御神輿のための「お清め」の行事です。
7月17日の日中に山鉾巡行を行い(前祭)、町をお清めする。そしてその日の夜に、御神輿が四条通りにある「御旅所(おたびしょ)」へ向かう。7月24日の日中に再び山鉾巡行を行い(後祭)、夜に御旅所から御神輿が八坂神社に帰る。
非常に大まかな説明ですが、山鉾巡行というのはこういう役割を担っている行事なのです。
7月に入ると、山鉾巡行などがつつがなく行えるようにお稚児さんやそれぞれの山鉾町の関係者などが、八坂神社で祈願したりご祈祷を受けたりします。御神輿の準備も始まります。そして前祭、後祭が終わった後は、御神輿を片付け、神様に祭が終わったことを報告し、7月31日に関係者全員で名越の大祓を行うのです。
この長い長い一連の行事が「祇園祭」なのです。
祇園祭の由来
祇園祭の始まりは、貞観11年、西暦869年に遡ります。この頃の日本は疫病が大流行していました。さらに陸奥国(青森・岩手・宮城・福島)で大地震が起こり、大津波が起きています。
当時の人々は、これは怨霊のしわざに違いないと考え、怨霊を鎮めなければいけないと考えました。そこで、大内裏にある神泉苑で、八坂神社から御神輿を迎え、御霊会(ごりょうえ)という怨霊を鎮めるお祭りをすることにしたのです。そして、その御神輿をお迎えするにあたり、当時の国の数にちなんだ66本の鉾を立てました。
今のような華やかな山鉾ができたのは、鎌倉時代末期から室町時代にかけてといわれています。この時代は町衆の中にも裕福な人たちが出てきて、芸能が盛んになった時期。町衆たちはどんどん華やかな山鉾を作り、巡行するようになったのです。
そして町衆たちが中心となる山鉾巡行関連の行事、怨霊を鎮める八坂神社の行事、両方まとめて「祇園祭」と呼ぶため、祇園祭は7月の1ヶ月間まるまるかけた長い長いお祭りになるのです。
祇園祭の山鉾巡行のニュースなどをご覧になったときは、こんなお話を思い出していただけると少し見方が変わるかもしれません。また、機会があれば、ぜひ山鉾巡行の夜に行われる神輿渡御なども見ていただければと思っています。
さて、16日の宵山では白竹堂の京都本店の前を月鉾のお囃子が通ります。涼やかな雰囲気をお届けしようと思い、動画を撮ってみました。祇園祭の雰囲気を少しお届けできればうれしく思います。