京都の流し雛と、おひな様の飾り方
こんにちは、京扇子の白竹堂です。享保3年、1718年から京都で扇子屋を営んでおります。
もうすぐ、桃の節句、ひな祭りがやってきます。
ひな祭りはもともと、水で身を清め厄を祓う行事だったと言われています。その行事が中国から日本に伝わり、人形(ひとがた)を川に流す流し雛や、雛人形(にんぎょう)に変化していったそうです。
ひな祭りには、京都の寺社仏閣でもさまざまな行事が行われます。その中から特に有名な下鴨神社の流し雛と、上賀茂神社の流し雛を紹介しましょう。そして、京都の雛人形の飾り方についても少し紹介したいと思います。
下鴨神社の流し雛
下鴨神社の境内には、御手洗川(みたらしがわ)という川が流れています。下鴨神社のサイトによると、ここはもともと土用になると自然に水が湧き出ていたのだそう。このとき湧き出る水の泡をかたどった団子が「みたらし団子」の元になったのだとか。
御手洗川は特に、葵祭の斎王代の禊の儀や、土用の足付け神事で知られています。そんな御手洗川では、3月3日になると流し雛が行われます。
流し雛では、平安装束を身につけた男女がまず御手洗川に流し雛を流します。そのあと、一般の参拝者が流し雛(有料)を流し、無病息災を祈願します。
ユニークなのは、流し雛に先立って、十二単の着付けシーンが公開されること。流し雛神事は例年11時頃から始まりますが、十二単の着付けシーン公開はその30分程前、10時30分頃から行われます。着付けに合わせた説明もされるそうなので、特に平安装束に興味がある方はきっと楽しめるのではないでしょうか。
上賀茂神社の流し雛
下鴨神社といえば、忘れてはいけないのが上賀茂神社。この2つの神社はともに賀茂氏の氏神であることから、まとめて「賀茂社」とも呼ばれます。
上賀茂神社の境内にも、禊などに使われる「ならの小川」という川が流れています。こちらも由緒は古く、百人一首にも「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」と詠まれています。
さきほど、下鴨神社の御手洗川で葵祭の斎王代が禊の儀を行うという話をしましたが、こちらの「ならの小川」も禊の儀が行われるんですよ。下鴨神社と上賀茂神社、交代で禊の儀を行っています。
そして、やはり「ならの小川」でも流し雛が行われるのです。
さて、流し雛以外で、上賀茂神社の桃の節句の行事で注目したいのは、去年行われた「湯立神楽」です。湯立神楽は、大釜でわかした熱湯を巫女さんが笹の葉で振りまく神事。流し雛同様厄除の意味があるそうです。
昨年の様子は個人の方のブログなどにいろいろ紹介されていますが、今年も開催されるのかどうか……公式サイトを見ても案内等がなく、さて去年限定だったのか今年も続くのか、気になります。
京都のおひな様の飾り方~男雛と女雛の位置はどっち?
最後に、京都のおひな様の飾り方についてご紹介しましょう。
「京都のおひな様は、男雛と女雛の位置が逆」とよく言われます。関東では男雛が向かって左、女雛が向かって右に置きます。しかし京都では男雛が向かって右、女雛が向かって左なんですね。
なぜ左右の位置が違うのか。諸説ありますが、よく言われるのは「昔の日本は左(=向かって右)が上だった」という説でしょう。
では、なぜ左が上位だったのでしょうか。調べてみると同志社大学の日本語日本文学科特任教授、吉海直人さんの面白いコラムを見つけました。
簡単にまとめると「もともと左右に差はなかった。ただ、左は文官・右は武官という違いがあり、戦乱の時代は右上位、平和な時代は左上位になった。平安時代の日本は戦乱がなかったので、左上位になった」という話です。
あくまで一説だそうですが、平和な時代の象徴が左上位だと考えると、京都のおひなさまを見る目が少し変わりそうですね。