京の秋祭りの代表「時代祭」の話
こんにちは、京扇子の白竹堂です。享保3年、1718年から京都で扇子屋を営んでおります。
9月も半ばを過ぎたあたりから少し涼しくなってきました。京都市内もエアコンなしで過ごせる日が出てきて「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだと感心します。
明日からは10月。いよいよ秋本番を迎えます。10月は秋祭の月。北野天満宮のずいき祭や粟田神社の大祭など、さまざまなお祭が行われます。中でも特に有名なものといえば、10月22日に行われる平安神宮の大祭「時代祭」でしょう。
京都三大祭のひとつにも数えられる時代祭の目玉は、時代行列。コロナ禍での中断を経て、今年は3年ぶりに時代行列が開催されます。今回は、時代祭と平安神宮の話を少しいたしましょう。
時代祭は「新しい」お祭り
京都三大祭といえば、葵祭、祇園祭、時代祭。この中では、時代祭は京都人的感覚で言うと「ついこの前」始まったばかりのお祭りです。
葵祭や祇園祭は平安時代からあるお祭りです。執り行う神社も上賀茂神社・下鴨神社、八坂神社と古い由緒ある神社で、非常に長い歴史を持っています。
一方、時代祭が始まったのは明治時代の1895年。執り行う神社は1895年創建の平安神宮ですから、京都の人にとっては「最近できた神社の最近のお祭り」という感覚になりがちです。
では、京都の人は時代祭に対して冷めているのかというと、決してそうとは限らないのが面白いところ。
平安神宮は京都の「町おこし」
ここで少し、平安神宮について説明しましょう。
平安神宮は1895年、明治28年に創建されました。
明治時代は京都にとって非常に大きな転機となった時代です。当時の京都は幕末から続いた戦乱で街は荒廃、さらに帝の奠都(てんと)が打撃となり、街は非常に衰退していました。
しかしそこは長年都だった京都人の誇りが許しません。「このままではあかん」とばかりに近代化を勧めます。1890年には琵琶湖疎水を作り、日本初の水力発電所を作りました。あわせて平安遷都1100年記念事業を推し進め、京都の町の盛り上がりをはかります。
おりしも平安遷都1100年の節目がやってきます。そこで誘致されたのが、1985年の第4回内国勧業博覧会でした。内国勧業博覧会が開かれたのは、平安神宮がある岡崎エリア。その目玉として復元された大内裏が、平安神宮なのです。内国勧業博覧会に合わせて日本初の電車も開業し、京都の町は一気に近代化を進めました。
つまり平安神宮は一種の「町おこし」的な存在として誕生したといえるでしょう。
伝統工芸と市民の意気
町おこし的側面もあった平安神宮の創建。その大祭である時代祭もまた、京都を盛り上げたい、このまま衰退してなるものかという京都の気概が込められています。
時代祭の目玉である時代行列では、明治維新から平安遷都まで、それぞれの時代の衣装を身にまとった人たちが登場します。各時代の衣装はきちんと時代考証をされた上で、京都の伝統産業・伝統工芸の粋を集めて再現された、いわば「本物」。自分たちが受け継いできた技術を行列という形で多くの人に見てほしい、という思いがこもった衣装です。
行列は時代ごとに担当する「平安講社」を決め、その講社から参加者を選びます。平安講社とは、京都市を学区をもとに10のエリアに分けた組織です。たとえば行列の先頭を歩く維新勤王隊列は、第八社、京都市中京区にある朱雀学区の担当です。
以前、ブログ担当者の知り合いが行列に参加したことがありました。聞いたところ、衣装合わせやリハーサルはもちろん、前日はお肉やお酒を断つなどして本番に臨んだそうです。
歴史の深さは、京都三大祭と並び称されるほかのお祭りと比べるとまだまだ浅い時代祭。しかしお祭りに込められた思いはひけを取りません。京都人の意地から始まったお祭りの3年ぶりの行列を見に、ぜひお越しいただければと思います。