日本初の電車が走った街・京都
こんにちは、京扇子の白竹堂です。享保3年、1718年から京都で扇子屋を営んでおります。
昨日10月14日は、日本に初めて鉄道が開業した日です。今年はちょうど鉄道開業150周年にあたるため、全国各地でさまざまなイベントなどが行われたり、記念グッズが発売されたりしています。
鉄道好きな方の中には、体とお財布がいくつあっても足りないと悲鳴を上げている人もいるでしょう。
日本の鉄道開業日は1872(明治5)年10月14日(旧暦9月12日)、開業した区間は東京の新橋(現:汐留)~横浜(現:桜木町)間です。
では、日本初の「電車」が開業したのはいつ、どこでかご存知でしょうか。
実は、日本初の電車が開業したのはここ京都なのです。
京都に「電車」が走った理由
明治の京都は、天皇陛下の奠都(てんと)により人口が激減。幕末から続いた戦乱もあり、すっかり寂れてしまいました。
このままではいけないと京都の人々は疎水を作り、日本発の商用水力発電所を作り、平安遷都1100年を記念して内国勧業博覧会を誘致しました。
このとき作られたのが平安神宮であり、始まったお祭りが時代祭……というのは前回お話した通りです。
↓前回のお話はこちらからどうぞ!
内国勧業博覧会の開催はもうひとつ大きな変化を京都にもたらしました。京都電気鉄道の開業です。
京都電気鉄道は、蹴上に作られた水力発電所で発電された電気を使って走る電車です。
開業したのは1895(明治27)年2月1日。開業当初は現在の京都駅の近くと伏見を結ぶ1路線のみでした。
開業2ヶ月後の4月1日に京都駅と内国勧業博覧会の会場である岡崎を結ぶ路線が開業。内国勧業博覧会に向かう人たちを運び、やがて京都電気鉄道は京都市街に路面電車網を築いていくことになります。
この路線はのちの市電の礎となり、1978(昭和53)年9月30日の市電廃止まで、京都市民の足として活躍しました。
電車と共に京都の町を駆け抜けた「告知人」
京都電気鉄道といえば、日本で唯一のユニークなエピソードがあります。「告知人」と呼ばれる少年たちです。
「先走り」とも呼ばれた子どもたちの役目は、電車の前を走って通行人に危険を知らせること。
当時の道路は狭く、今のように明確に歩道と車道がわかれているわけではありません。
歩行者も当たり前のように路面の線路を渡ったり、すぐ近くを歩いたりします。
そこで15歳くらいまでの少年が、運転士、車掌と共に電車に乗車。混雑する繁華街付近にさしかかるとさっと飛び降り、電車の前を走って「電車がきまっせ!危のおっせ!」と叫んで注意を促したのだそう。
当時の電車の最高速度が時速12.9キロメートル以下となっていたので、子どもの足で走って先導できないことはありません。しかし、走る電車からとび降りて先導し、また飛び乗るという非常に危険なお仕事だったことは想像に難くありません。
事実、告知人は9年ほどで廃止されました。
市電の名残はまだあちこちに
京都市内には京都電気鉄道や京都市電の名残があちこちにひっそり見られます。
京都駅の近くには日本初の電車の記念碑があり、京都駅西側にある大宮通陸橋には市電の架線柱がまだ建っています。
市電が廃止されたときに払い下げられた敷石は、南禅寺などのお寺の敷石や、石塀小路、祇園の新橋通、哲学の道などの石畳に再利用されています。中には、一般の民家やお店の店先にも、ひっそり再利用されている例もあるのだそうです。
よりわかりやすいところでは、梅小路京都西駅の近くにある梅小路公園には市電の車両を使ったお店がある「市電ひろば」。広島まで足を伸ばせば京都市電として走っていた車両が、広島電鉄として現役で運行している様子を見ることもできます。
京都のお寺敷石や石畳の道を歩いたときは、日本で初めての電車の話に少し思いを馳せてみてはいかがでしょうか。